明日できることは今日やらない(ことも無くは無いかもしれない)

自分が思うこと、考えることを書いていきます

駅までの道のりで考えてたこと

 こんなに分けてどうすんだよってくらいにあらゆるものが細分化されて、理解するのに便利になったけど、狭くて窮屈になったなと思う。同時に自分も年取ったなってのも思うけど、でも、やっぱり細かすぎるよな。

 確かに、事象内を細分化することで、再定義、見直しがされて、今になって改めて判る事感じる事があるってのは素晴らしい。そうやって本当に大切なもの、その事象の本質、核が見えてくる。

 もちろん、自分もそうされたことで理解の容易さの恩恵を授かっている一人だけれど。

 本来なら、より豊かに、相互理解が深まり、より寛容になれるんだと思うんだけど。

 世の中が細分化されたからって、それをネガティブに利用するのは、うーんて、どうなのそれって思う。

 もちろん、対立する二つの事象の差異がより明確になる。肝要なのは、そこでそのより明らかになった差異をどう受け取るかじゃないかな。

 なんていうか、その素材を自分の武器に防具にするんじゃなくて、みんなが着れる服の布にできないかな。

 政治の右、左はもちろんひとつにはならないし、どちらかだからこそ主義主張になる。でも、そういう、明らかに分かれてないと成り立たないものじゃなくて、今までぼやけていたからこそ、再定義されたことによってそれぞれの差異が見えてきたものにおいては互いの存在に受容的な姿勢を見せてもいいのではと思う。

 もう、多くの人が気づいているって感じる。それは勉強のできるできないに関わらず多くの人が。

 情報って発信側の意図が強く反映されているっていうことに。単純に鵜呑みにしてはいけないってことに。操作されないようにしなければって思いながら、どのソースにも様々な意図が含まれていることを意識しながら受け取らねばと。

 自分個人の理想としては、いつか、野球における巨人阪神みたいに、新たな対立が様式美みたいに、そこに存在する文化のひとつに見えるといいなと思う。

 

 めんどくせえ。

 


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